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東京地方裁判所 平成5年(ワ)6036号 判決

原告

生野守幸

原告

藤田洋一

右両名訴訟代理人弁護士

茨木茂

被告

株式会社日本情報企画

右代表者代表取締役

安藤嘉浩

右訴訟代理人弁護士

大嶋芳樹

主文

一  被告は、原告生野守幸に対し、金一二八万七四〇〇円、原告藤田洋一に対し、金一四八万三四〇〇円及び右各金員に対する平成四年八月三一日から支払ずみまで年六分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文第一項と同旨

第二事案の概要

本件は、被告在職中に被告の取締役として登記されていた原告らが、被告に対し、退職金残金及び遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  基礎となる事実(以下の事実は、特に証拠を摘示したほかは、当事者間に争いがない。)

1  被告は、電子計算機による情報処理サービス、情報提供及びこれに関するパンチ業務、ソフトウエアの開発及びこれに関する技術者の派遣業等を目的とする会社である(〈証拠略〉)。

2  原告生野は、昭和五六年四月一日に、原告藤田は、昭和五五年六月一日に被告にそれぞれ入社し、平成四年七月三〇日に自己都合により被告を退職した(勤続年月数は、原告生野について一一年四か月、原告藤田について一二年二か月)。原告の退職時の基本給は、原告生野が二四万五〇〇〇円、原告藤田が二五万円である(〈証拠略〉)。

3  原告らは、入社時から平成四年四月一七日まで被告の取締役として登記されていた(〈証拠略〉)。

4  原告生野は、被告を退職する直前の平成四年七月一一日、コンピュータによる情報処理、ソフトウエアの開発販売、情報提供サービス及び計算事務代行等を目的とするフレンド・コンピュータ・サービス株式会社(以下「フレンド・コンピュータ」という。)の代表取締役に就任した(〈証拠略〉)。

5  従業員の退職金についての被告会社の規定(〈証拠略〉)

(一) 支給算式 退職金の支給算式は、次のとおりであり、算定した退職金額に一〇〇円未満の端数を生じたときは一〇〇円に切り上げる。

算式基礎額×勤続年数別支給率×退職事由別乗率

(二) 算定基礎額 退職時の基本給

(三) 勤続年数 一年未満の端数月が生じたときは月割りとし、一か月未満の端数を生じたときは一か月に切り上げる。

(四) 支給率 勤続年数一一年の場合七・〇、一二年の場合八・〇である。ただし、勤続年数に端数月があるときは、右上昇差の一二分の一に端数月数を乗じる。

(五) 退職事由別乗率 勤続年数一〇年から一五年で自己の都合による退職の場合〇・八

(六) 支給時期 退職後一か月以内に支払う。

6  原告らの退職金額を右5の退職金規定に基づいて計算すると、原告生野が一四三万七四〇〇円、原告藤田が一六三万三四〇〇円である。

7  原告らは、被告退職以降、被告に対し、右退職金の支払を請求した。原告らと被告は、平成四年一二月五日、原告らの退職金をそれぞれ六〇万円とすること及びその分割払い(平成四年一二月一〇日限り一五万円、平成五年一月一〇日限り二五万円、同年二月一〇日限り二〇万円)の合意(以下「本件合意」という。)をしたが、被告は、原告らに対し、第一回目の分割金一五万円をそれぞれ支払ったのみで、第二回目以降の分割金の支払を怠った(〈証拠略〉)。

8  そこで、原告らは、平成五年二月一二日及び同月二二日に本件合意に基づく退職金の支払を催告したうえで、同年三月八日到達の内容証明郵便で本件合意を解除する旨の意思表示をした。

9  原告らは、本件訴えにおいて、本件合意は被告の債務不履行を理由に解除されたとして、前記5の退職金規定に基づいて計算された退職金額から既に支払を受けた一五万円を差し引いた金額を退職金残金としてそれぞれ請求している。

二  争点及び当事者の主張

1  従業員に適用される退職金規定が、取締役であった原告らに適用されるか否か。

(原告)

原告らは、被告の取締役として登記されていたが、その実質は、被告の指揮・命令・監督のもとに労働を提供していた従業員であり、名目的な取締役にすぎなかったから、原告らにも被告の退職金規定が適用される。

(被告)

被告の退職金規定三条には従業員が役員に就任したときは退職金が支給される旨規定され、このことは、その反面として、役員には退職金請求権がないことを意味する。また、原告らは他の従業員よりも高額の給与を支給されていたのであるから、取締役であった原告らに被告の退職金規定が適用されず、原告らが退職金請求権を有しないとしても何ら不都合はない。

2  原告らの退職金請求が権利の濫用となるか否か。

(被告)

(一) 原告らは、被告退職後、被告が大幅な受注減によりその経営が悪化している状況下にあって、株式会社明治屋(以下「明治屋」という。)及び株式会社ナガイ(以下「ナガイ」という。)の受託業務を被告から奪った。なお、現在では、原告生野が代表取締役であるフレンド・コンピュータが右受託業務を行っている。したがって、原告らの退職金請求は、権利の濫用である。

(二) 原告生野は、被告在職中であるにもかかわらず、被告と競業関係に立つフレンド・コンピュータの代表取締役に就任した。原告生野の右行為は、競業避止義務違反に当たり、被告に対する著しい背信行為であって、懲戒解雇事由に相当するから、原告生野の退職金請求は、権利の濫用である。

(原告)

(一) 明治屋及びナガイの受託業務の取引停止は発注元(明治屋については明治屋からの直接受託と日本電気情報サービス株式会社を経由した再受託がある)が決定したことであり、原告らが左右できる事柄ではない。また、明治屋の受託業務について、フレンド・コンピュータは、現在の委託先である株式会社シー・エス・エスに対し支援業務を行っているが、明治屋及びナガイの受託業務自体を行っていない。

(二) 被告代表者は、原告生野が被告在職中にフレンド・コンピュータの代表取締役に就任するについて承諾した。

3  本件合意の解除が権利の濫用となるか否か。

(被告)

被告は、重要な取引先である明治屋及びナガイとの取引関係継続への協力を条件に本件合意をしたが、原告らは、被告の経営が悪化している状況下で、右取引関係を奪えば、被告が本件合意を履行できなくなることを知りながら、被告から右取引関係を奪った。したがって、被告が本件合意に基づく分割払を履行できなくなったのは、もっぱら原告らの右行為によるものであるから、原告らによる本件合意の解除は、権利の濫用である。

(原告)

本件合意にあたって、明治屋及びナガイとの取引関係継続への協力を条件としていない。すなわち、本件合意の時点で、被告最大の継続的取引先である明治屋の受託業務が平成四年一二月末で打ち切られることは既に決定されていたことであるし、仮に、右取引関係継続への協力を本件合意の条件としたならば、原告らは、退職金減額とその分割払いという大幅な譲歩をするまでの必要はなかった。

また、原告らは、明治屋及びナガイとの取引関係を奪っていない。

第三争点に対する判断

一  争点1について(退職金規定適用の有無)

1  原告らの従業員性に関し、次の事実が認められる(〈証拠略〉)。

(一) 被告は、電子計算機による情報処理サービス、情報提供及びこれに関するパンチ業務、ソフトウエアの開発及びこれに関する技術者の派遣業等を目的とし、現在の代表取締役安藤嘉浩の亡父安藤嘉孝がその大部分を出資して、昭和五五年四月九日に設立された株式会社である。右安藤嘉孝が親しくしていた堀部俊夫が、設立当初から平成四年四月一日まで、被告の代表取締役であった。

(二) 被告の経営は、設立以来、オーナーである安藤嘉孝と被告前代表取締役堀部俊夫とが行ってきた。原告らは、被告設立時、安藤嘉孝に請われて被告の従業員(平社員)として入社したが、その際、同人から取締役の数を揃えるために名前を貸して欲しい旨言われて、これを承諾した。したがって、原告らの取締役としての地位は全く名目的なものであって、原告らは、取締役会の構成員として、これまで取締役会の開催通知を受領したり会社の財務諸表を見せられたことはなく、被告の業務執行の意思決定に参加したこともなかった。

(三) 原告らは、入社以来退職するまで、被告代表取締役の指揮・命令のもとで、一従業員として業務を担当してきた。原告生野は、入社時には平社員であり、係長、課長と昇進し、最終的には被告のシステム運営部兼システム開発部課長となったが、退職前の平成四年三月末には右課長職からも外れた。原告藤田は、入社時には平社員であり、係長、課長、次長と昇進し、退職時にはシステム開発部次長の職にあった。原告らは、その名刺にも取締役の肩書を用いず、対外的にも被告の取締役として業務を行なったことはなかった。

(四) 原告らは、退職するまで、被告の従業員として、就業規則の賃金規定に従い、基本給のほか、職務手当(被告藤田のみ)、技能手当、住宅手当、家族手当(被告藤田のみ)等が支給されてきた。また、原告らの基本給及び給与総額は、他の従業員と比較しても、原告らの入社の経緯、勤続年数(原告生野が一一年四か月、原告藤田が一二年二か月)、年齢(原告生野が四一歳、原告藤田が四四歳)、職務経験(原告生野が二二年、原告藤田が二三年)、被告会社における地位(原告生野が課長、原告藤田が次長)に応じたものであり、また、社会的にみてもそれほど高額のものでなかった。したがって、原告らの給与は、もっぱら従業員としてのものであって、取締役としての報酬は含まれていなかった。更に、原告らは、被告を退職するまで一般従業員としてタイムカードを押すことを義務づけられ、原告生野については、早出残業手当や休日手当も支給されていた。

(五) 雇用保険制度の適用対象者である被保険者とは、雇用される労働者、すなわち事業主の支配を受けてその規律のもとに労務を提供し、その提供した労働の対償として事業主から賃金、給料等の支払いを受け、これらの収入によって生活している者であることを意味するが、被告は、これまで原告らを雇用保険の被保険者たる労働者として扱ってきた。

2  右事実によれば、原告らは、入社時から形式的には取締役と従業員を兼務していたが、取締役としての地位は全くの形式的、名目的なものであって、従業員として代表取締役の指揮・命令に従ってその業務に従事してきたものであり、賃金についても、その全額が形式的にも実質的にも従業員の賃金として支払われてきたものと認められるから、原告らは、就業規則の退職金規定が適用される従業員であったものと認めるのが相当である。

これに対し、被告は、退職金規定には従業員が役員に就任したときは退職金が支給される旨規定されているから、役員には退職金請求権が認められないと主張するが、右規定は、役員就任時にそれまでの雇用契約に基づく従業員としての退職金を支給するとの趣旨のものにとどまるのであって、役員就任時以降も従業員としての地位をなお兼有する場合には、右規定にかかわらず、その従業員としての労務提供の対償たる賃金部分について退職金規定が適用される余地があるのであり、まして、前記のとおり、原告らは、入社時の取締役就任が全くの名目的なもので、その後も退職するまでもっぱら一従業員として就労してきたものであるから、右規定は、原告らについて退職金規定の適用を排除する根拠とはなりえない。

そうすると、原告らの退職金額は、原告生野が一四三万七四〇〇円、原告藤田が一六三万三四〇〇円となる。そして、原告らは、被告からそれぞれ一五万円の支払を受けたから、原告らの退職金残額は、原告生野が一二八万七四〇〇円、原告藤田が一四八万三四〇〇円となる。

二  争点2(退職金請求の権利濫用)について

1  原告らの退職の前後の経緯について、次の事実が認められる(〈証拠略〉)。

(一) 原告生野は、平成四年三月末日までシステム運営部兼システム開発部課長の地位にあったものであるが、被告代表取締役安藤嘉浩(以下「被告代表者」という。)に退職を申し出たところ、被告代表者は、原告生野が退職した場合にはシステム運営部を維持できなくなるとして、平成四年六月八日、原告生野に対し、被告が出資して分社方式でセンター運営会社を設立するか、生野個人で会社を設立してセンター運営を継続させるかのいずれかを選択して欲しいとの提案を行った。

(二) 原告生野は、平成四年六月二六日、被告代表者との間で、平成四年七月一日に新会社を設立すること、勤務時間内に設立手続等の関係作業を行うこと、明治屋、ナガイ等の受託業務を新会社に移管することなどを内容とする覚書を締結した。原告生野は、右の新会社設立については既存会社であるフレンド・コンピュータの譲渡を受けるという形をとり、平成四年七月一一日、その代表取締役に就任した。原告らは、平成四年七月三〇日、自己都合により被告を退職した。

(三) 明治屋の受託計算業務は、被告最大の継続的取引で、月額受注高が三〇〇万円から四〇〇万円であり、明治屋からの直接受託が一〇パーセント、日本電機情報サービス株式会社(以下「日本電機情報サービス」という。)を経由した再受託が九〇パーセントであった。また、ナガイの受託業務の月額受注高は、二〇万円程度であった。

(四) 明治屋の受託業務を新会社に移管するとの前記覚書があったが、原告生野、被告及び発注元である日本電機情報サービスの三者間の話し合いにより、当面は被告が明治屋の受託業務を行うことになった。その際、原告生野は、日本電機情報サービスから、被告でトラブルが発生した場合にはその原因の調査及び対処の方法を指示する等の支援をして欲しいとの依頼を受けて、フレンド・コンピュータにおいて、被告に対する支援業務を行ってきた。

(五) 原告らは、被告退職以降、被告に対し、再三にわたり退職金規定に基づく退職金の支払を請求し、他方、被告は、取締役である原告らには退職金請求権がないとして、原告らの請求を拒絶していたが、原告らと被告は、平成四年一二月五日、原告らの退職金をそれぞれ六〇万円に減額すること及びその分割払い(平成四年一二月一〇日限り一五万円、平成五年一月一〇日限り二五万円、平成五年二月一〇日限り二〇万円)の合意をした。

(六) 明治屋の受託業務は、平成四年一二月末で打ち切られたが、被告及びフレンド・コンピュータは、それ以前の平成四年一一月、日本電機情報サービスから、その旨の連絡を受けた。その後、明治屋の受託業務は、そのすべてが日本電機情報サービスを経由して、株式会社シー・エス・エスに再委託された。フレンド・コンピュータは、日本電機情報サービスからの要請により、シー・エス・エスに対し、シー・エス・エスが独力で受託業務を遂行できるまでの暫定的経過措置として、それまでの被告に対するものと同様の業務支援を行ってきた。また、被告は、ナガイの受託業務も打ち切られたが、フレンド・コンピュータは、右受託業務には全く関与していない。

2  被告は、原告らは退職後に明治屋及びナガイの受託業務を被告から奪ったから、原告らの退職金請求は権利濫用であると主張するが、右認定した事実に照らせば、原告の右主張事実を認めることはできない。更に言えば、被告は、原告らの退職後の行為により損害を被った場合には損害賠償を請求しうるのであり、他方、賃金の性質を有する退職金は、労働基準法二四条により相殺することが許されない性格のものであることを考慮すると、原告らの退職後の行為により原告らの退職金請求が権利濫用となるとは解されないから、被告の右主張はそもそも失当というほかない。

次に、被告は、原告生野が在職中に被告と競業関係に立つフレンド・コンピュータの代表取締役に就任したことは、被告に対する著しい背信行為であり懲戒解雇事由に相当するから、原告生野の退職金請求は権利濫用であると主張し、(証拠略)によれば、就業規則の退職金規定に懲戒解雇者に対する退職金不支給の規定があること、就業規則に服務規律規定として、従業員は在籍のまま会社の承認を得ないで他に就職し、又は事業を営んではならない旨が規定されていることが認められ、原告生野が、在職中、被告とほぼ目的を同じくするフレンド・コンピュータの代表取締役に就任したことは、前記基礎となる事実のとおりである。しかしながら、前記1で認定した事実によれば、原告生野が在職中に被告と競業関係に立つフレンド・コンピュータの代表取締役に就任したことは、原告生野が退職を申し出た際、被告代表者の側から提案されたものであり、被告代表者の承認を得て行われたものと認められるから、原告生野の右行為は、懲戒解雇事由に相当する行為であるとも、被告に対する著しい背信行為であるとも認められない。

なお、(証拠略)によれば、原告らの在職中、原告らが責任者であったアパレル会社ポールスチュアートのソフトウエアの設計・製造にトラブルが発生し、被告が損害を被ったことが認められるが、右損害が原告らの責任に帰せられるべきものであることを認めるに足りる証拠はなく、また、仮に、原告らの責任に帰せられるべきものであるとしても、被告が、原告らを懲戒解雇せずに、その任意退職を容認した以上、このことは、原告らの退職金請求を拒む理由とはなり得ない。

3  したがって、原告らの退職金請求が権利濫用であるとの被告の主張は、いずれも理由がない。

三  争点3(本件合意の解除の権利濫用)について

被告は、明治屋及びナガイとの取引継続に協力することを条件に本件合意をしたが、原告らが明治屋及びナガイとの顧客関係を奪ったために、被告が右合意に基づく分割払いの履行ができなくなったのであるから、原告らによる本件合意の解除は、権利の濫用であると主張する。

しかし、明治屋及びナガイとの取引関係継続への協力を本件合意の条件としたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、本件合意の際に被告代表者が原告らに宛てて作成した「退職金の支払について」と題する書面にも右の点に関する記載がないこと(〈証拠略〉)、明治屋の受託業務については、右受託業務が平成四年一二月末に終了することは、同月五日の本件合意の段階では、受託先である日本電機情報サービスから既にその旨の通知がされていたこと、仮に、取引関係継続への協力を本件合意の条件としたならば、原告らが、被告の経営状況の悪化に配慮して、大幅な譲歩をしてまで退職金の減額と分割払いに応じる理由がなかったと考えられること、などからすれば、右取引関係継続への協力を本件合意の条件としたことを認めるのは困難というほかない。

また、原告らが明治屋及びナガイの受託業務を被告から奪った事実が認められないことも、前記のとおりである。

したがって、原告らの本件合意の解除が権利濫用になるとの原告の前記主張は理由がない。

四  以上によれば、原告らの請求は、いずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 坂本宗一)

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